オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2007年02月28日

温泉銭湯で遠山桜の入れ墨を見た

博多のとある由緒ある温泉街の銭湯に入った。弱アルカリの泉質のいい湯である。

だから常連客らしい20人ばかりの人がくつろいでいた。その中のふたり(他人である)が体に立派な入れ墨があり目立っていた。

一人は背中全体と太ももにかけて仏像らしき絵がひと色で描かれていた。

もう一人の方とは同じ湯舟で汗が出るまで一緒に入ってたので、じっくり鑑賞させていただいた。

間違いなく、遠山の金さんの桜吹雪の入れ墨だった。きれいだと思った。

なんとなくあの金さんの名場面が頭をよぎった。なかなか本物の桜吹雪が生身の肌に描かれている機会はないので得した気分になった。若い頃はさぞかし血気盛んだったと思わせる面影があった。

そういえば、かなり前、ある組長の家にお邪魔したことがあり、そのとき、今の組の若いもんは度胸がない、小指をツメルのに整形外科に行く奴がいるとか嘆いていた。その方がツメル時の様子も聞いたが、ここではカットしょう。彼もまた立派で本格的な全身入れ墨があった。

目の前にいる御仁を見ながらそんな昔の記憶もよみがえった。

でも入れ墨も肌にツヤがあり元気であればこそ見栄えもいいということがよくわかった。

やはり70代と思われる、その桜吹雪もいまひとつなのである。(文字通りの桜の寿命も60年から80年といわれている)

肌そのものがその入れ墨の美しい図柄を支えきれないような年が来るということだ。

いま刺青がタトゥーといわれて若者のファッションの一部になっているようだが、あとあとのことを考えての上でされるように願います。

※注意ー:入れ墨・刺青は江戸時代罪人の印として施されました。そして自分で望んで入れるのは「彫り物」といわれて一般の方もしていました。区別されていたんですね。  


Posted by 中高年の太陽 at 15:16Comments(0)

2007年02月27日

新しい『自分の色』を出せるか!

色についてまだ考えている。(笑)

以前に自分のカラーを出すことについて書いた。

今回「自分の色を出す」とあえて日本語にしてみた。

自分の色を出すとは自分の特色を出すことだ。

ということは、自らの中に幾つかの色が取り揃えてあり、その中でもとりわけ自らの中心或いは基本にしたい大事な色が、自分の特色だということになる。

例えば、正義感、誠実さ、優しさ、粘り強さ、勤勉さ、情熱など幾十とあるなかで、一つか二つくらいのものが本人を特徴づける固有の色となるかもしれない。(勿論一色ではない)

それは本人の中心軸みたいなもので、何があってもぶれない、揺らがない、「色褪せない」ものである。

それが何色かは、本人が決めていいもの。

興味深いことに、人体の遺伝子情報を収めた物質を「染色体」と呼んでいる。

だから、私達の中に遺伝子レベルで、「様々な色」が膨大な数、あらかじめストックされていると考えてもいいと思うのです。

何色を取り出すか、何色を使うか、自分の生き方の中で形造っていき、自分にとって快い、楽しいと思えるもの、同時

ここで考えたいのは、まだ使っていない色があるのではないかと思うのです。

使っていい色の在庫はたくさんあるにもかかわらず…‥。

ちょうど洋服でも、すべての色のものを着用したことがないのと同じ感覚です。

似合わないと思い込んで試着さえしていない色合いの服がある。

でも案外自分によく似合うものがあるのでは。と思うのです。

新しいことに挑戦することは、自分の新しい色を見出だすことに繋がると信じています。

このブログで受ける様々な刺激が、新しい自分の発見、新しい自分の色を出すことになるのではとひそかに期待しているところです。  


Posted by 中高年の太陽 at 18:15Comments(0)

2007年02月27日

失敗を恐れないことより大切な事

誰でも何かにチャレンジする時に不安になったり恐れの気持ちを持つ。

仕事でも、スポーツでも、趣味などの分野でも、そういう事がありますよね。

そんなときに私が書き留めて役に立っている文がありますので紹介します。


失敗を恐れたら何もできない

何かしたから失敗があり 何もしない人は失敗がない

だから失敗する人は 何もしない人より いいという

でも何十回も やっても やっても失敗する人は

失敗を恐れてやらなくなる

失敗を恐れないことよりも大切なことは

始める前に できるまであきらめないと 決めることだ
  


Posted by 中高年の太陽 at 01:29Comments(0)

2007年02月26日

永遠の恋人たちと永遠の乙女






















写真は福岡市美術館の入口近くに置かれている彫刻像である。

館内に置かれているわけではないので、足を止めて見る人はあまりない。

近づいて観てみると「恋人たち」とテーマが書かれていて、作者はイタリアの著名な彫刻家で作品がイタリア国王に買い取られたほどであると記されていた。

作品は恋人たちが抱擁しあっている。

何故このような様子で切り取りられ、彫像になってるか、想像しなければならない。

この場所は風雨、風雪、寒気、熱射、あらゆる気象にさらされる。

それでも二人はずっと意に介さず立ち続け、抱き合っているのだ。

私は彫刻の事は全くわからないが、この場所にある事が、まさに恋人達のあるべき姿を表わしているような気がした。

近くの美しい裸体の像もしかりだと思った。

どんなにまわりに波風が立とうとも、この乙女はしなやかに、伸び伸びとそこに立ち続けるのだ。

彫刻像はものを申すわけではないが、立ち止まりさえすれば、間違いなくなんらかのメッセージを語りかけてくれる。  


Posted by 中高年の太陽 at 01:40Comments(0)

2007年02月25日

春の陽射しを浴び光る福岡タワー





















福岡市の街のシンボル福岡タワーは、日本で一番高い海浜タワーである。

全長234メートルで地上123メートルにある展望室からは360度の眺望が楽しめる。

喫茶室があり、アベックシート(古いかな)みたいに座席が背の高い間仕切で仕切るられてるから、かなりプライベートを保ち、ゆっくりできる。

街の風景を見るもよし、碧く広がる海原を眺めるのもよし。夕日が沈む光景も素晴らしい。夜景もまたおつなもの。街の明かり、黒い海にまたたく島に燈る人家の明かり、多くの船舶から届く暖かな灯など、時の経つのを忘れてしまう。

日常の慌ただしい雑踏の中での生活。

ときに、高い見地から物事を見たり、遠くを見据える事やパノラマのように全体を眺めて見る大切さを、この福岡タワーはいつも教えてくれている。

春の陽光をいっぱい浴びて福岡タワーは今日も輝いて見えた。  


Posted by 中高年の太陽 at 18:28Comments(0)

2007年02月25日

柳の枝から青葉の季節がいよいよ

福岡城址のお堀端に柳の並木がある。

そのずらりと並んだ立派な柳の木立の枝垂れた細い枝が、

まるで乙女の細い髪が風にそよぐような心地よい風情を見せていた。

その下を歩いていたら、一本の細い枝先に葉が芽吹いているのが目に留まった。

いよいよ青葉の季節も始まるのだ。

水仙や梅や桜など春の花の季節も最盛期を迎えるが、

新緑の木の葉の息吹もまた元気を与えてくれる。

さぁ、人間さまも花を咲かせ、葉を茂らせる勢いに負けないように活動しなければ。  


Posted by 中高年の太陽 at 02:05Comments(0)

2007年02月24日

銭湯に行くと得られるもの

・自分の身体を隅々まで綺麗に清潔にすることができる

・汗を出して即ダイエット効果がある

・手足を思い切り伸ばせる

・泳ぐことができるかも

・鏡の前で現在の体形をチェックして必要な手を打てる

・子供からお年寄りまでの姿、形を怪しまれずに観察できる

・その際に若い肉体から元気を、肉が年齢よりも垂れてると感じる人を見たら、ああはなりたくないと固く決意して肉体改造に取り組む発奮材料にできる

・自分が目標にできる肉体に出会える

・もし歌うことができたら、かなりうまく聞こえて嬉しくなれる

・誰かとお友達になる機会

・会いたい知人、友人に会う機会になるかも

・身体のみならず気持ちもリフレッシュでき、美味しいビールを飲む絶好の環境を作れる

・人への観察力を高める。裸を見て判断したりする事を試してみる。

例えば職業を当てる、年齢を当てる、やってるスポーツを当てたり色々やれる。答えを確認したければ、風呂上がりの観察で大体わかる。聞けばすぐ判る

・湯上がり美人に会えるかも知れない

・どんな人でもいい顔してるから気持ちいい

・もうひと仕事できる気分になれる

・安眠できる態勢ができる

・一日の疲れを取り、区切りをつける

・明日への準備ができる

まだまだあるでしょうけど、ざっと銭湯に行くとこんなに沢山の得することがあるのですから、

たまには銭湯に行きましょう!  


Posted by 中高年の太陽 at 01:01Comments(0)

2007年02月23日

まむしに噛まれたらまむし温泉へ
























福岡県の西、糸島郡に「まむし温泉」がある。

当初私は温泉に、まむしのエキスでも入っていて元気でも出る効果があるのか、と思いきや、さにあらず。なんとも由緒のある温泉でした。

時代は僧空海(弘法大師)が諸国行脚の折、筑前の人々がまむしに噛まれて苦しんでいるのを見て、この地の湧水池に杖を突き入れ、薬水を湧出させ、飲ませ、傷口を洗うと、次第に痛みもとれ全快したという。(解毒作用の高い水としていまでも重宝されている)

江戸時代にこのあたりから、温泉が湧出したので、この名前がつけらたようです。

昭和初期、20年代は近在の方はもちろん近県の方も、まむし(ひらくち)に噛まれたらまむし湯に行けが合言葉だったほど効果があったようです。

写真のように水の結晶が美しく、とても体に良い水であることに間違いありません。浴場の中に常時出されていますので、入浴しながら飲めます。

まむしに噛まれたらまむし温泉へどうぞ!

まむしのような言葉の毒に傷ついた方もこの温泉で癒されますよ(笑)どうぞ!  


Posted by 中高年の太陽 at 18:29Comments(0)

2007年02月23日

昭和30年代の銭湯で見たもの

福岡市の中心街の近くそれは見るからに幾十年を経た佇まいである。

懐かしい「ゆ」という一文字に誘われるように、「男湯」「女湯」と別々の入口がある、一方のガラス付きの木戸を開けた。

番台には年配の婦人が座っていた。代金は410円である。婦人は財布を預かりましょうか?と申し出た、盗難が多いらしい。

懐かしい脱衣篭がある。よくこのかごの中に入り遊んだ。そしてあの力士を計量するような体重計。

浴場のガラス戸を開けると大人が5人も入れば一杯になるような小さなタイル仕立ての楕円形の浴そうがひとつ中央にあった。周りに八人位分のシャワーと懐かしい黒と赤の蛇口。

浴そうに一人中年の方が入ってたので、こんにちはと挨拶したら驚いたように口ごもるように返してきた。

壁面にはなんの絵画もなかったのが残念だ。昔は富士山みたいなのがあって眺めて楽しめた。

隣の女湯から会話の声が湯煙とともに聞こえてきた。昔はすごかったなぁ活気が会話にもあった。

小さい頃行ってた銭湯は男湯と女湯が下で繋がっていてよく潜って行き来したっけ。

風呂から上がり着替えてるとき、ひとりの老人が入ってきた、あいさつしたが、無視だった。

風呂あがりに大きい扇風機にあたりながらコーヒー牛乳を飲んだもんだ。が、そんな気にもなれなくて、その時代を共に生きてきた銭湯に別れを告げた。

もう来ることはないだろう。しばし郷愁にしたりながらも侘びしさを感じたひとときであった。

近くに古い銭湯があるならぜひとも行ってやってください。まもなくその灯は消えるでしょうから。  


Posted by 中高年の太陽 at 00:02Comments(0)

2007年02月22日

江戸絵画展in九州国立博物館
























日本で4番目東京、京都、奈良に次ぐ九州国立博物館が誕生して1年4カ月連日盛況である。

太宰府天満宮から数百メートルのエスカレーターで直結してる利便性もあるのかもしれない。

今ジャクチュウと江戸絵画展をやっている。江戸時代の絵師達の技量の高さ、想像力、色彩感覚には驚かされる。

写真は京都出身の絵師伊藤若チュウの紫陽花双鶏図の一部だが、ご想像いただけると思います。

あと、お日様の当たり具合で屏風の中で自然の移ろいが見え隠れして変化していくものとか、水墨画の筆遣いの強弱、緩急、濃淡の組み合わせで、とても墨一色とは思えない表情を見せてくれるものなど。

江戸時代の絵画の世界を堪能できた。以前買い求めていた日本の伝統色の本も大いに参考になった。

江戸時代に素晴らしい画家達が活躍していたのだが、その背景には、やはり日本の美しい四季折々の自然環境とそこに生息していた動植物と共存していた、感性豊かな人達がいたからこそだと思った。

芸術家を産む土壌は現代よりも、むしろ江戸時代の方が勝っていたのかもしれない。  


Posted by 中高年の太陽 at 12:31Comments(0)

2007年02月21日

太宰府天満宮梅だより



























東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ


前回から一週間、「飛梅」満開になりました。



その前で記念撮影する人々の表情も、まん丸く顔がほころんで満開でした。



私がひいたおみくじは第八番「大吉」で上の句が最初に書いてあり


「チャンス到来の運気です。この気を生かすためには、それだけたゆまぬ努力と実績が必要だと」。


わたしの顔もほころんだ。  


Posted by 中高年の太陽 at 12:35Comments(0)

2007年02月17日

あと5分でしなければならない事

「地球の終末時計」のことである。「あと5分であると」と。

核の脅威や最近は地球温暖化などが勘案されて設定された時間である。

日常の中の5分の使い方は、人それぞれ千差万別だろう。時間に対する意識や価値感も異なる。人間にまさに平等に与えられているものが時間である。

終末時計が指し示す、残り5分も、また、すべての人に、何をするのか、何もしないのか自由に決めていい時間である。

問題はこの5分が、10年後なのか、20年後なのか30年後なのか それ以上なのかわからないことである。

しかし、残り5分ということは、いやが上にも私たちに、緊張感や緊急感を与える時間である。

5分で何ができるか?終末時計は、それを問うている



自分に与えられた時間の中で「終末時計残り5分」 のために、自分の時間を使うことがどれ程大切か考えさせられる。

これからも一日5分でいいから、一月5分でもいいから「その5分」のためにできることを意識してゆきたい。

その時間は無駄にはならない

「あと5分でしなければならないこと」二重の意味での問いかけがそこにあるような気がする。。  


Posted by 中高年の太陽 at 16:51Comments(0)

2007年02月17日

自分のカラーを出すこと。

色について考えている。

「自分のカラーを出すとは、自分の特色を出すということで、よく耳にする。

しかし、あえて色に置き換えて考えたことはなかった。

そういえば昔から色鉛筆とかクレヨンでも好きな色ほどよく使い、短くなるのが早かった。既に好みが色使いにも出ていたのだ。

同様にこれまで多くの人に出会い様々なカラーを持つ人達と付き合ってきた。互いに引き寄せあう人達がいる。

同じようなカラーの人はもちろん、自分のカラーを際立たせてくれる人、こちらが相手を引き立たせることもある。

それらの規模がもっと大きくなってそれぞれのカラーがそれぞれの場所で最高の色彩を発揮してゆく。

丁度彩り鮮やかな絵画の中に周りとの調和を保ちながら自分のカラーがおさまってる感じだろうか。

だから自分のカラーは人々の役に立つ、魅力的なもので、どこでも使ってもらえるものだろうか。

他の色とのマッチングで新たなカラーを見出だし、進化しているだろうか。と自問してみる。

いいカラーとの出会いがいかに大切か再認識する。

自分のカラーを出すこと。とても意味深いことです。  


Posted by 中高年の太陽 at 12:00Comments(0)

2007年02月16日

「恋は盲目」だけじゃない。

付き合いをやめたがいいような相手と問題を抱えながらも続けているのを傍から見てると、「恋は盲目」だからという言葉を使っいる。でもそれだけじゃないことに気付いた。

よく「あばたもエクボ」という。これはかなり「恋の視力」が落ちて盲目に近づいとる兆候だ。(笑)もうその人だけしか目に入らなくなったら完全に「盲目」です。(笑)

「恋は盲目」というけれど、耳はどうかな?って考えてみた。

やはり、「耳も聞こえてない」ようだ。友達、親がどんなに色々云っても、人の言うことが耳に入らない。目を覚ませと云っても無駄である。聞く耳をもっていない。

「恋は盲目だけじゃない耳も聞こえない」のだ。

最近恋愛絡みでの殺し合いがあっている。恋愛中の目と耳が正常に機能していなかったのかもしれない。
大事なことは、人の話し(相手のも含む)を聞く耳と人を見る目の両方だ。

目から入ると、気に入ると欲しくなるから、耳が聞こえなくなる。ショッピングでも目を支配するために躍起になって、衝動買いをさせようとしてますよね。(笑)

でも恋の衝動買いはあとで後悔するからご用心!  


Posted by 中高年の太陽 at 22:19Comments(0)

2007年02月16日

美しい日本の色250

美しい色に出会ったときに、余りにも色の描写の貧弱さに気付いた。それで、「日本の伝統色」という題の本を買った。

その帯に書かれていたのが、美しいき日本の色250だ。

正直驚きと嬉しさが交錯した。誰しも自分の好きなカラーがあると思うが、私は今まで自分の好きな色は紫系パープル系ですと答えてたが、この本を見たらなんと紫系だけで25色ある。

私がその中で気に入ってるのは藤紫と江戸紫であると明確になった。

少しでも進歩できたことで嬉しくなった。早く誰か聞いてくれないかなあ。

そして日本がその伝統美の中に、日本の四季折々に彩られた色を巧に生活の中に取り入れてきたか、その見事さに驚いた。

建築物、器、着物、武者甲冑、十二単、等など数限りがない。

さて美しい国日本の国づくりが始まっている、どんな色になっていくのか?などと考えてみてしまった。
色の見地から日本を眺めて観るのも面白いと気付かせてくれた一冊にもなった。

そしてわたしには色気が出てきた。(笑)。  


Posted by 中高年の太陽 at 00:02Comments(0)

2007年02月15日

「かけがえのない人」との出会い

わたしたちが生まれたのは奇跡に近い。

1個の卵子と幾十億個もの精子の中の1個が結ばれた結果である。これまで幾十年余り生きて来られたのもしかりである。

まして、この星に60余億人が生き、この日本に1億3千万人が生活している中、同時代に生を受けたことも、さらにその中で多少なりとも知り合うことができたのは、奇跡的な出会いといっても過言ではないと思う。

このブロクを通しての出会いも、そう感じる。さらにはそこには「かけがえのない人」になる出会いもあるかもしれない。



「かけがえのない人」

失くしたらまた見つけたらいい いなくなったらまた捜したらいい

でもかけがえのない人は二度と見つけられない人

かけがえのない人は二度と捜し出せない人

地球上どんなにたずね巡っても現れない人

それがかけがえのない人だから…

かけがえのない人は大事な人

かけがえのない人とは一緒に歩きたい

だってはぐれたりしたくない人だから…。


わたしたちには出会いが多くあるけれど、その中から間違いなく誰かが、かけがえのない人になっていく。

それは後になって気付くことである。だからこそ、人との出会いを大切にしていきたいと思う。  


Posted by 中高年の太陽 at 12:58Comments(0)

2007年02月15日

お巡りさん宮本さんの死を悼む!

今夜、通夜が営まれている。630人もの方々が列席されたそうだ。

宮本さんの死に関しては、朝日新聞の天声人語、毎日新聞の余録、産経新聞の産経抄の三紙の論客が今朝の朝刊で取り上げていた。

それだけ、宮本さんの行為が人道的にも称賛に値するものであり、命の用い方について考えさせる出来事であり、相応しい扱いだと感じた。

宮本さんはお巡りさんと呼ぶイメージにピッタリの人だと思う。

地域に溶け込み、住民の方々に親切にし、子供たちからも慕われていた。その延長線上に今回の気高い行為があったのだろうと思う。

53歳の人生だった。遺族の方の心中を考えると、言葉もない…。

でも彼の行為は心ある人々に感動を与え、社会全体が暖かく助け合っていく方法に注意を向けるべく身をもって教えてくれた気がする。

宮本さんに心からの尊敬の念を添えて、哀悼の意を表します。ありがとうございました。  


Posted by 中高年の太陽 at 00:47Comments(0)

2007年02月14日

天満宮のトイレに入れますか?



この写真は太宰府天満宮のトイレの表示です。

男であれば、女であれば、誰でも入れるわけではありません!

ちゃんと見落とさないようにしてくださいね(笑)「善男」「善女」と書いてあります。

自分の胸に手を当てて(笑)やっぱりここは厠も違います。俗世間とは。(^O^)  


Posted by 中高年の太陽 at 13:40Comments(0)

2007年02月14日

太宰府天満宮は人々の願いで一杯


























太宰府天満宮は学問の神様だけあって、この時期正月並の人出である。参道の人並みは途切れることはがない。
そして、それぞれの思いを託した、絵馬が沢山納められている。

絵馬に書かれた文言を、いくらか見ていると、なんだか胸が熱くなるものを感じた。

中学、高校、大学、専門学校、など志望校を目指す、意気込みと熱い願いと祈り!

資格試験に挑む祈り。健康を願う祈り。幸せを願う祈り。

それは自分自身で、また同級生同士で、そして親が我が子に対しての熱烈な祈りであった。

そのすべてが叶うようにとわたしは心の中で願わずにはいられなかった。

そして自らの夢の実現にも願いを込めた!  


Posted by 中高年の太陽 at 02:57Comments(0)

2007年02月13日

太宰府天満宮梅だより

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ
と詠んだ菅原道真公を慕い翌日飛んで来たと云われる「飛梅」が天満宮の社の前に幾百年の時を経て今年も可憐な白い花を咲かせている。まだ三分咲き位。多くの参拝者に微笑みかけている。  


Posted by 中高年の太陽 at 10:50Comments(0)