2007年02月07日
「葉祥明美術館」で自然の芸術を

葉祥明は61歳の絵本作家である。私と同郷熊本生まれの阿蘇大好き人間で、彼の作品の原風景がここ阿蘇にある。(鎌倉にも彼の美術館がある)だから、彼の作品が気に入ってるし、ここには年に何回か訪ねる。
この日は朝から粉雪ががゆっくりゆったりと舞始め、静かにに樹木に降り積もり、雪の結晶がいくつも手をつないで舞い降りてきて、あたりを一面の銀世界に変えてしまった。姿を見せていた、阿蘇の山々もあっという間に雪雲に覆われて見えなくなり、その存在さえないかのような状況になり、この美術館はそのふもとにあるのだが午後からはこの場所も車が通れないようになった。
山の変容には驚くべきものがある。阿蘇の雄大な赤茶けた風景が、刻一刻と銀世界へと変容されていく様を目の当たりにできた感動は言葉に言い表わせないほど素晴らしい。まさに自然という神の手が、数十キロという範囲を一瞬にして、コーディネートしているのである。圧巻だった。
目にするものすべてが、さながら動く自然の絵本美術館であった。

まさにグッドタイミング!人生このあともかくありたい。
Posted by 中高年の太陽 at
16:05
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2007年02月07日
「音の風景」に耳を澄まそう!
景色は見るものだと、思っていた。しかし、そうではなく「耳がちゃんと観て記憶してくれていた」のだ。
というのはNHKのラジオで夜遅く、短い番組で「音の風景」という名の放送がある。かなり気に入ってる。
まず、土地や場所や状況が述べられ、それから実際の現場の「音」が流される。例えば、駅の構内の雑踏、電車の到着と出発のアナウンス、など。波止場。遊覧船の中。魚河岸のせり。都会のとある交差点。地方のバスセンター 。温泉郷。様々な観光地。人々が佇み、動物たちと遊んでる公園のようす。サーキット。などなど外国も含めて多種多彩である。
全てが丸ごと切り取られて、まるごと耳に飛び込んでくる。
すると、その光景が頭の中のスクリーンに映し出される。時間がとまる。
自ら赴いたことがある土地なら、なおさら鮮明に蘇ってくる嬉しさがある。懐かしさもある。
まだ行ってない土地でも、流れる音をもとに、自分なりにイメージがふくらみ、それもまた楽しい。
美しいものを見たとき、「目に焼き付ける」ことを行うが、おっとどっこい、耳も意識しなくても
ちゃんと記憶し、いつでも再生できるようにスタンバイしてくれている。ありがたいことです。
今日もまた、どんな「音」を聞くだろうか。
のちのち目を閉じて再生したくなるような、「音の風景」にするために、耳を澄まそう。
きっと自分だけのすばらしい作品が数多く出来上がることになるのだ。
それは時空を越えて、決して色褪せることがない。
というのはNHKのラジオで夜遅く、短い番組で「音の風景」という名の放送がある。かなり気に入ってる。
まず、土地や場所や状況が述べられ、それから実際の現場の「音」が流される。例えば、駅の構内の雑踏、電車の到着と出発のアナウンス、など。波止場。遊覧船の中。魚河岸のせり。都会のとある交差点。地方のバスセンター 。温泉郷。様々な観光地。人々が佇み、動物たちと遊んでる公園のようす。サーキット。などなど外国も含めて多種多彩である。
全てが丸ごと切り取られて、まるごと耳に飛び込んでくる。
すると、その光景が頭の中のスクリーンに映し出される。時間がとまる。
自ら赴いたことがある土地なら、なおさら鮮明に蘇ってくる嬉しさがある。懐かしさもある。
まだ行ってない土地でも、流れる音をもとに、自分なりにイメージがふくらみ、それもまた楽しい。
美しいものを見たとき、「目に焼き付ける」ことを行うが、おっとどっこい、耳も意識しなくても
ちゃんと記憶し、いつでも再生できるようにスタンバイしてくれている。ありがたいことです。
今日もまた、どんな「音」を聞くだろうか。
のちのち目を閉じて再生したくなるような、「音の風景」にするために、耳を澄まそう。
きっと自分だけのすばらしい作品が数多く出来上がることになるのだ。
それは時空を越えて、決して色褪せることがない。
Posted by 中高年の太陽 at
01:56
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