2007年02月10日
大隈重信の肉声聞きました
佐賀県の佐賀市の中心部に佐賀城址があり、その中に本丸御殿が復元されている。
大広間約320畳、広い!立派!往時に想いを馳せながら各小部屋などを見学、お侍が忙しく公務を果たしていたんだろうと…
佐賀鍋島藩は維新のとき雄藩で、戌辰戦争のとき、そこで既に持っていた鋳造施設で造られた大砲が威力を発揮した。鍋島藩主鍋島直正の先見性の勝利でもあった。
大隈重信、江藤新平はこの佐賀の出である。大隈重信の肉声のテープが残されていた。
かなり聞き苦しかったが、昭和天皇の話し方に力強さを加えた感じであった。
旧500円札の髭の大隈重信が身近いに感じられた。
こういう所にいくと、温故知新で学ぶことが多い。
大広間約320畳、広い!立派!往時に想いを馳せながら各小部屋などを見学、お侍が忙しく公務を果たしていたんだろうと…
佐賀鍋島藩は維新のとき雄藩で、戌辰戦争のとき、そこで既に持っていた鋳造施設で造られた大砲が威力を発揮した。鍋島藩主鍋島直正の先見性の勝利でもあった。
大隈重信、江藤新平はこの佐賀の出である。大隈重信の肉声のテープが残されていた。
かなり聞き苦しかったが、昭和天皇の話し方に力強さを加えた感じであった。
旧500円札の髭の大隈重信が身近いに感じられた。
こういう所にいくと、温故知新で学ぶことが多い。
Posted by 中高年の太陽 at 20:45│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。