2007年02月27日
新しい『自分の色』を出せるか!
色についてまだ考えている。(笑)
以前に自分のカラーを出すことについて書いた。
今回「自分の色を出す」とあえて日本語にしてみた。
自分の色を出すとは自分の特色を出すことだ。
ということは、自らの中に幾つかの色が取り揃えてあり、その中でもとりわけ自らの中心或いは基本にしたい大事な色が、自分の特色だということになる。
例えば、正義感、誠実さ、優しさ、粘り強さ、勤勉さ、情熱など幾十とあるなかで、一つか二つくらいのものが本人を特徴づける固有の色となるかもしれない。(勿論一色ではない)
それは本人の中心軸みたいなもので、何があってもぶれない、揺らがない、「色褪せない」ものである。
それが何色かは、本人が決めていいもの。
興味深いことに、人体の遺伝子情報を収めた物質を「染色体」と呼んでいる。
だから、私達の中に遺伝子レベルで、「様々な色」が膨大な数、あらかじめストックされていると考えてもいいと思うのです。
何色を取り出すか、何色を使うか、自分の生き方の中で形造っていき、自分にとって快い、楽しいと思えるもの、同時
ここで考えたいのは、まだ使っていない色があるのではないかと思うのです。
使っていい色の在庫はたくさんあるにもかかわらず…‥。
ちょうど洋服でも、すべての色のものを着用したことがないのと同じ感覚です。
似合わないと思い込んで試着さえしていない色合いの服がある。
でも案外自分によく似合うものがあるのでは。と思うのです。
新しいことに挑戦することは、自分の新しい色を見出だすことに繋がると信じています。
このブログで受ける様々な刺激が、新しい自分の発見、新しい自分の色を出すことになるのではとひそかに期待しているところです。
以前に自分のカラーを出すことについて書いた。
今回「自分の色を出す」とあえて日本語にしてみた。
自分の色を出すとは自分の特色を出すことだ。
ということは、自らの中に幾つかの色が取り揃えてあり、その中でもとりわけ自らの中心或いは基本にしたい大事な色が、自分の特色だということになる。
例えば、正義感、誠実さ、優しさ、粘り強さ、勤勉さ、情熱など幾十とあるなかで、一つか二つくらいのものが本人を特徴づける固有の色となるかもしれない。(勿論一色ではない)
それは本人の中心軸みたいなもので、何があってもぶれない、揺らがない、「色褪せない」ものである。
それが何色かは、本人が決めていいもの。
興味深いことに、人体の遺伝子情報を収めた物質を「染色体」と呼んでいる。
だから、私達の中に遺伝子レベルで、「様々な色」が膨大な数、あらかじめストックされていると考えてもいいと思うのです。
何色を取り出すか、何色を使うか、自分の生き方の中で形造っていき、自分にとって快い、楽しいと思えるもの、同時
ここで考えたいのは、まだ使っていない色があるのではないかと思うのです。
使っていい色の在庫はたくさんあるにもかかわらず…‥。
ちょうど洋服でも、すべての色のものを着用したことがないのと同じ感覚です。
似合わないと思い込んで試着さえしていない色合いの服がある。
でも案外自分によく似合うものがあるのでは。と思うのです。
新しいことに挑戦することは、自分の新しい色を見出だすことに繋がると信じています。
このブログで受ける様々な刺激が、新しい自分の発見、新しい自分の色を出すことになるのではとひそかに期待しているところです。
Posted by 中高年の太陽 at 18:15│Comments(0)
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